命の選択

 

 

人間 みんなお風呂では 何について考えながらお湯に浮かんでいるんだ??

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みんな 本当はどんなことをうちあけたいと思っているんだろう

私は好きな色や 絵について話し合ったりしたくて だけどそんな知り合いは現実では2人くらいしかいないから まだここで文章を書いている

そんな内容のことほとんど書いていないけれど

 

みんな どんなことを思っていて 考えていて ほんとうはどんなことを知ってもらいたくて わかってもらいたいと思って それを胸に秘めて生きているんだろう

きっと人間は 自分のすべてをわかってくれる人間なんていないと承知して 承知した上での孤独や虚無感に絶望したりしながら生きている

すべてをわかりあうことは絶対にできなくて 一瞬 わかりあえたつもりになるけど それもきっと つもりなだけ

 

だけどいちばん大事なのは わかってくれるとか わかってくれないとか ぜんぜんそこじゃなくて  "わかろうとしてくれる" っていう部分 それだけなんじゃないか

わかろうとしてくれた事実を心に刻んでいくと 大事なものの実像が自ずとよく見えてきた気がした

わかろうとする っていうのは 知ろうとする 見ようとする 聞こうとする 考えようとする などに細かく区分されていく

 

 

そんなことより 最近これ読んでる

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哲学書になるのかなあ

丸善のそういうコーナーにあった

愛するということは 人間あたりまえに出来る 全員に備わった能力だと人はおもっている  けれど これによると 愛するということは技術であり 学ぼうとしないものは何度やっても失敗する といったことが書かれている

与えることよりも与えられないことばかり考え 自ら学ぶことを手放している 愛を欲しがる人はこんなにも多いのに 愛する方法について学ぼうとする人は少ない 何故なら愛とは 目に見えるわかりやすい利益をもたらさないから

 

そんな内容だったような

もう少し読みすすめてみるけど

 

とくにこれをまじめに読んだからといって 人生のなにかがうまくいくとは思わないけど

ドラえもんのび太の部屋でまんが読むのと同じテンションで読んでる

 

だいたい ほとんどのことはこの程度のテンションで済む

 

アニメ版ドラえもんのほとんどはのび太帰宅後から展開していくためドラえもんの生活は想像が付きにくい  しかし漫画版を読むとのび太の帰りを待つ間(実際は特に待ってもいない) どらやきを食べたり まんがをよんだり 猫と会話したり ママのお手伝いをしたり のびのび適当にすごしているドラえもんの生活がわかる

ドラえもんは常に万能なわけではない 本領発揮するのはのび太帰宅後か 映画版くらいなのだ

 

つまり人生にも同じことが言える

人間の営みのほとんどを ドラえもんのび太の部屋でまんがを読む程度のテンションでこなしたっていい

上映開始の瞬間さえ逃さなければ それでいいのだ

(むしろ映画ドラえもんは毎度何でもない日常からドラマチックな展開にいつのまにか突入している流れがお決まりだ  人生における映画的瞬間と日常は常に地続きにあり ほとんどは切り取り方の問題であると考える)

現に私は仕事も休日も関係無く1日のほとんどをドラえもんのような動作で行動している

ドラえもんという作品のすばらしさは そこには書かれていなくとも 読んだ者には容易に想像のつく "連続したドラえもんのなんでもない日常"の上で成り立っているのだ

 

だからのび太不在中のドラえもんのようにダラダラ過ごしていたからといってべつに べつになにも悪くない それがドラえもん(人生)という作品の良さの基盤だから むしろいい

 

 

そんでなんだ